災害時情報は誰のもの?

「エリートパニック」はあるのか。

 

3.11は様々な問題を提起していて、その幾つかはしっかりと個々人に残っています。災害社会学における「エリートパニック」は、災害状況という「情報」をエリートと呼ばれる人たちが市民社会に発表するのかしないのか、するならどのようにするのか、など、情報の扱いに対してパニックをおこす事を言っているようです。

 

ちょっと違和感がありますが、レベッカ・ソルニットの「災害ユートピア」に対する書評が幾つかブログに上がっていてそれぞれに考察も興味深いです。

 

http://kousyoublog.jp/?eid=2573

 

http://blog.livedoor.jp/hardthink/archives/51881560.html

 

http://www.kinyobi.co.jp/kinyobinews/?tag=%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%91%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF

 

災害時に発生する情報は、国民を守るために中央に集められるのが自然でしょう。その情報は状況を判断して、動きを「決断」するために使用されることになる。その判断は市民社会の成熟度にもよるのかもしれないけれど、基本的には全て速やかに公開される事が望ましいと思えます。

 

その時市民はパニックになるのかどうか。

 

細野さんのように市民のパニックを心配している、と管理側は言葉にしますが、パニックは決断出来ない情報発信者が起こしているようにも感じられます。その辺りのことを過去の災害時の例をたどりながら「災害ユートピア」は書かれているようです。

 

災害時の情報は誰のものか。

 

それはどんな事実であれ、市民社会が共有すべきものであると今は思っています。