市役所の情報は誰のものか?

おおよそ組織では全体に公開しない情報が沢山あるものですが、何かおこった時に公開していなかった情報によるものも少なくありません。情報を公開することに関する意識は、たぶんほとんど気にしていないレベルなんじゃないかと思います。

 

国民として各省庁から実務レベルの話をバンバン公開されたところで、それを丁寧に読み続ける人などほぼいないでしょう。

 

例えば情報をどうするか判断する場合に、結論をどうしたいのか、というベクトルありきで発信することは案外自然なことで、マスメディアなども、公平を期するという立場ではあるけれど、多少なりとも恣意的になってしまうのは、やむ負えないことも多いのではないでしょうか。

 

しかし、市民として不利益を得るような状況の場合はその限りではありません。そんなこともあるだろう、なんて呑気に判断は出来ません。

 

「市役所の情報は誰のものか?」

 

これは市民として許してはいけない場合だと思います。

 

「日向市の情報は誰のものですか?」という質問に「それを作成した人(職員)のものです」という答弁は、情報に対するある部分的な認識を象徴しているでしょう。市や区の情報は市民や区民のものである。案外当たり前に考えていることは、盲目的なだけだったりするのがわかります。管理者たちはそう考えていない、もしくは、いざと言う時には当たり前の思考が出来なくなる、自分の立場を守る思考になるなど、理由を特定することは出来ませんが、信頼に足る判断をする人かどうかはなかなか難しいようです。

 

次元は違いますが、お金は稼いだ人のものである、という旦那の言葉を奥さんが罵る話などもあります。情報は作った人のものである。何か似たような感じがしませんか?

 

市役所の情報は市民のものです。市民は断言すべきだし、市長など選挙で選ばれた人は、自分が不利益を被ることになろうとも、市民ありきの心意気を持ち続けてほしいものです。