市役所の情報は誰のものか?
おおよそ組織では全体に公開しない情報が沢山あるものですが、何かおこった時に公開していなかった情報によるものも少なくありません。情報を公開することに関する意識は、たぶんほとんど気にしていないレベルなんじゃないかと思います。
国民として各省庁から実務レベルの話をバンバン公開されたところで、それを丁寧に読み続ける人などほぼいないでしょう。
例えば情報をどうするか判断する場合に、結論をどうしたいのか、というベクトルありきで発信することは案外自然なことで、マスメディアなども、公平を期するという立場ではあるけれど、多少なりとも恣意的になってしまうのは、やむ負えないことも多いのではないでしょうか。
しかし、市民として不利益を得るような状況の場合はその限りではありません。そんなこともあるだろう、なんて呑気に判断は出来ません。
これは市民として許してはいけない場合だと思います。
「日向市の情報は誰のものですか?」という質問に「それを作成した人(職員)のものです」という答弁は、情報に対するある部分的な認識を象徴しているでしょう。市や区の情報は市民や区民のものである。案外当たり前に考えていることは、盲目的なだけだったりするのがわかります。管理者たちはそう考えていない、もしくは、いざと言う時には当たり前の思考が出来なくなる、自分の立場を守る思考になるなど、理由を特定することは出来ませんが、信頼に足る判断をする人かどうかはなかなか難しいようです。
次元は違いますが、お金は稼いだ人のものである、という旦那の言葉を奥さんが罵る話などもあります。情報は作った人のものである。何か似たような感じがしませんか?
市役所の情報は市民のものです。市民は断言すべきだし、市長など選挙で選ばれた人は、自分が不利益を被ることになろうとも、市民ありきの心意気を持ち続けてほしいものです。
Head First C 1章
プログラミングを教える上で、C言語の立ち位置は現在最も難しい課題の一つでしょう。C言語の書籍は僕もずいぶんよい本を探しました。でもほとんどがJavaでもいいし、Pythonでもいいような内容ばかり。しかし、ほとんどのプログラミング言語がCで書かれているのもまた事実です。
コンピュータ科学で教育用言語としてSchemeが使用されるのはいいとして、何故Cを覚えたほうがいいのか。何をCで開発すべきなのか。そういった事が書かれているCの書籍があまりに少ないというか無い。
噂の Head First は1章を読んだだけで、まず分岐、繰り返しと言った言語に関係ない部分を全て説明しながら、番兵を持つ文字配列まで解説してしまいます。残りの2章から12章まではまさに今となってはCならではの解説になっています。
ちゃんとC言語を学ぶには現在、唯一無二の書籍だと考えていいと思います。
センサデータは誰のものか?
自動販売機にはじまって車やテレビなど「コンシェルジェ型サービス」があれよあれよ、という間に広まっています。Amazonの推奨書籍などは便利なサービスとして僕も使用しています。個人の趣味嗜好は大事な個人データですが、本当にそのサービスが便利であり、個人データが管理され、意図するサービス以外には使用されていない事が保障されるならば、企業が製品の差別化を図る考え方として、悪くないのではないかと思えます。
センサデータを取材した記事がありました。
この記者の方は、問題点として「利用者には選択権がない」(あるとしたらサービスを拒否すること)。逆にセンサ情報を開示することに対する自由がない。の2点です。
防犯カメラなども含めてこの問題点は大事でしょう。特にサービス提供者が「センサ情報を自分たちのものだと思っていると感じる」という感覚は、コミュニケーションサービスを既に嫌なものとして離れている人にとって、追い打ちをかける状況のようです。しかしこの状況は今のところ、それが残念だと思う人々による声を上げる活動にまかされています。
映像はともかくとしてもセンサデータは漠然と個人を特定するものであり、個人データであると特定しずらい部分もあり、サービス提供者も、個人情報として扱う意識が低くなりがちなようです。今後の色々なサービスに対して市民レベルで監視していく必要があります。
遺伝子情報は誰のものか?
遺伝子の情報は特許として資本主義社会では認められてきています。「特許」は「発明」に対して紐付いている権利です。遺伝子情報は物理的、自然的に既にあるものであり、発明と直結するものはありません。
しかし、遺伝子の仕組みを解明して応用することで、沢山の発明をすることが出来、発明のコアとなっています。そのため遺伝子情報の研究に企業は資金を使い、価値的な応用に対して「特許」を与えることで研究が活発になっている、という側面があります。
ヒトゲノムにおいても既に20%が特許化しているといいます。
市民レベルでヒトゲノムを考える時には、プライバシー権なども考慮され、医療情報と紐つけることになるのではないでしょうか。遺伝子情報を研究チームとしてホームページ上に公開している人たちもいますが、今後さらに遺伝子の力が表面化してきた場合に、同じように、気にしないレベルでいられるかどうかは解りません。
研究者として遺伝子の解明が浪漫に溢れるものであるのは、宇宙の解明と同じように理解出来ることなので、遺伝子は個人に帰するものであることを前提にしながら、研究も出来る環境が望ましいと思います。
日本の特許法は「特許権によって発明の保護と利用を図ることにより、発明を奨励し、また産業の発達に寄与することを目的とするとされている」法律です。
自分の遺伝子情報はやはり個人情報として扱われないといけない、心情的には多くの人が思うことではないでしょうか。どこまでを特許として認めるのか、その判断にはプライバシーと発明なのかどうか、をテーマにして考えていく必要がありそうです。
災害時情報は誰のもの?
「エリートパニック」はあるのか。
3.11は様々な問題を提起していて、その幾つかはしっかりと個々人に残っています。災害社会学における「エリートパニック」は、災害状況という「情報」をエリートと呼ばれる人たちが市民社会に発表するのかしないのか、するならどのようにするのか、など、情報の扱いに対してパニックをおこす事を言っているようです。
ちょっと違和感がありますが、レベッカ・ソルニットの「災害ユートピア」に対する書評が幾つかブログに上がっていてそれぞれに考察も興味深いです。
http://kousyoublog.jp/?eid=2573
http://blog.livedoor.jp/hardthink/archives/51881560.html
災害時に発生する情報は、国民を守るために中央に集められるのが自然でしょう。その情報は状況を判断して、動きを「決断」するために使用されることになる。その判断は市民社会の成熟度にもよるのかもしれないけれど、基本的には全て速やかに公開される事が望ましいと思えます。
その時市民はパニックになるのかどうか。
細野さんのように市民のパニックを心配している、と管理側は言葉にしますが、パニックは決断出来ない情報発信者が起こしているようにも感じられます。その辺りのことを過去の災害時の例をたどりながら「災害ユートピア」は書かれているようです。
災害時の情報は誰のものか。
それはどんな事実であれ、市民社会が共有すべきものであると今は思っています。
Head First C
O'reilly の Head First シリーズの「C」がとても充実しているらしい、という噂は幾つか出てますが、先日紀伊国屋に寄ったので、手に取ってみました。
プログラムの教則的な書籍は、内容があまりに似ていて、Cならこうで、Javaならこうで、PHPならこうで、と目的がかぶりすぎなようです。で、特にCの書籍は、なんでCで書くべきか解らないものばかり。
そんな本を読んだらスクリプトのほうが楽じゃん、と思うのは当たり前で、とても残念な状態に見えます。そこでこのHead First。
1章のあいさつにはじまり2章から配列とポインタとメモリアドレスの話に一気になだれ込んでいきます。文字列の理論がまとめられて、3章でライブラリ、データストリームと、他の書籍ではありえない順番とスピード。
4章ではコンパイルにせまり、makeの動作まで。5章での構造体は再帰構造体の扱い方まで踏み込み、共有体、ビットフィールドとCならではの構造を学びます。
6章はヒープの扱い、7章は関数ポインタ配列の意義、8章ではホットスワップ!
9章からはプロセスとネットワーキング、スレッドに続き、なぜCを覚えるとよいのか、が満載で、これはもしかしてすんごい本なのではないか、と感じるのに充分な目次とパラパラめくって見えるページ達。
という事でもちろん手にとって購入。
GWのネタにしてみようと思います。